

衣紋道山科流
山科有職研究所
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山科有職研究所について
山科有職研究所は、日本古来の「雅(みやび)」の精神を今に伝えることを目的とし、衣紋道山科流宗家のもと、宮中に仕えていた公家たちが受け継いできた有職文化の美と精神を現代に伝え、次世代へと承継することを目指す非営利型社団法人です。
四条烏丸法律事務所家「山科有職研究所」の広報活動を行っております。山科有職研究所へのご連絡はお問合せフォームからお願い致します。
<役員一覧>
理事長 山科 言和(衣紋道山科流宗家)
代表理事 山科 言親(山科流若宗家)
理事 田中 惠厚(宝鏡寺門跡)
理事 南坊城 光興(道明寺天満宮宮司)
理事 杉溪 祐理(山科家支流・杉溪家)
理事 加藤 由紀子(源鳳院代表取締役)
監事 寳光井 英彦(弁護士法人SACI代表)
衣紋道とは
衣紋道とは公家や武家の装束の着装法について、古くから伝えられてきた技術や考え方のことです。宇多天皇の寛平六(894)年、舒明天皇以来、264年間続いた遣唐使が廃止されたことを契機として、我が国の文物、諸制度は従来の唐風の模倣から脱皮して、日本独自の生活習慣や国民性に適合したものに改められていきました。
そのような中で服飾の面においても、これと軌を一にして国風化が進められ、従来の唐風の柔装束(なえしょうぞく)から強装束(こわしょうぞく)へ変化し、鳥羽天皇の代(嘉承二(1107)年〜保安四(1123)年)頃には、男性の束帯、女性の唐衣や裳からなるいわゆる十二単の現存のスタイルに近いものがつくられるようになります。
このようなサイズの大きい、ゴワゴワした強装束を美しく着装するには、他人の手を借りる必要があり、ここに専門的な着装技術者(衣紋者)が登場することとなりました。
衣紋道の創始者は、後三条天皇の皇孫にあたられる従一位左大臣 源 有仁公(康和五(1103)年〜久安三(1147)年とされています。公の死去後、衣紋道は藤原北家の流れである徳大寺家、大炊御門家に伝えられ、さらに治承四(1180)年頃に徳大寺家の衣紋道は山科家へ、また正安二(1300)頃に大炊御門家のそれは高倉家に伝えられました。
以後両家は公家の家職としてその道を継承し、今日に至っています。
山科家とは
山科家は藤原北家の流れで、平安時代末期〜鎌倉時代初期の公卿藤原実教(1150〜1227)を初代として始まりました。
後白河法皇より山科新御所とその周辺を所領として賜り、
以後代々伝承し、家名の由来となります。
山科家の人々は宮中で大納言・中納言・参議等の要職についた他、
南北朝期以降は内蔵頭・御厨子所別当を世襲し朝廷財政を運営します。
また、公家の家職として、装束の調進と着装をする衣紋道山科流並びに雅楽の笙を伝えるなど、
有識故実をもって歴代天皇の側近として仕えました。
山科家は歴代当主による日記が多く伝存していることで著名であり、
中でも13代言継(1507〜1579)の日記「言継卿記」は戦国時代研究の重要史料として評価されています。




